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ホタルと日本人・蛍狩り


 蛍と日本文化とのかかわりは古く、蛍が登場する最も古い文献は、720年に作られた「日本書記」です。
「万葉集」は、同時代にできた我が国最初の歌集ですが、かろうじて、蛍は一首登場する程度で、蛍が身近になるのは、やはり、平安時代まで下がらなければならないでしょう。
平安時代を代表する文学作品といえば、先ず、「源氏物語」があげられますが、それ以前に成立したと言われる「伊勢物語」にも蛍は登場しています。
はるる夜の星か河辺の蛍かも、わが住むかたの 海人アマ のたく火か
在原業平
夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがいたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし
清少納言 「枕草紙」


 平安朝の貴族達には、闇に光る蛍には、身を焦がす自分の恋を象徴する炎に映ったようで、口にも出さず、静かに燃える恋心に重ねたのでしょう。
音もせで思いに燃ゆる蛍こそ、鳴く虫よりもあわれなりけり
紀重之 「古今和歌集」

 現代の若い人には通じないかも知れませんが、秘めた恋心を表す故事成語に「鳴かぬ蛍が身を焦がす」という、仲々気の利いた文句はどうやらこのあたりに出発点があるようです。
 さて,「大和物語」にも、秘めた恋心を蛍に託す、せつない話が語られていますが、「源氏物語」になりますと、「蛍の巻」と、蛍も一巻分の扱いを受けるようになり、蛍がぐっと身近になってきます。
  養女の玉カズラに恋心を抱く光源氏は、玉鬘の寝ている部屋に、集めておいた蛍を放ち、訪ねてきた求婚者にその光で、玉鬘の姿をほのかに見せようとするいたずらまでします。蛍は、光源氏の手のひらで光るところまで接近してきました。
声はせで身をのみこがす蛍こそ言うよりまさる思いなるらめ
(蛍の巻)
もの思へば沢の蛍のわが身よりあくがれ出づるタマかとぞ見る


 これは恋の遍歴に浮名を流したと伝えられる、女流歌人・和泉式部の歌です。こうして平安朝の歌人達は、蛍を、心に燃える恋の火として歌ってきました。
 ところで、日本の代表的な蛍は、姿も発光量も大きいのを「源氏蛍」と呼び、小さいのを「平家蛍」と呼んでいますが、それは、平安朝末期の源平合戦に由来したとも言われています。 
 義経が活躍した、源平合戦のさきがけとなったのが、1180年、源頼政が起こした平家打倒の反乱です。頼政は後白河院王子以仁モチヒト王を奉じましたが、当時は、平家全盛の時代で、利あらず、頼政は、敗走する途中、宇治平等院で自決します。旧暦5月26日のことでした。
 その頼政の魂が蛍となって、忌日の夜に宇治に集まって戦いを挑み、飛び交うのが「蛍合戦」だと言われています。
雄蛍達が、雌を求めて乱舞する光景を見て、ああ、頼政の魂が又、この世に舞い戻って、合戦を挑んでいるんだなと、手を合わせる日本人の姿は、何て美しいでしょう。
 その後、戦いに明け暮れた戦国時代、豊臣秀吉が連歌の席上、
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき
 という、百人一首で有名な猿丸太夫の歌をもじって、
奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍
 と詠んだというのです。一座の者が失笑しかけると、家来の細川幽斉が、すかさず脇句をつけました。
しかとは見えぬソマのともしび

 きこりの家のともしびでしょうか、と、カバーしたのです。秀吉ともあろう人が、蛍が鳴く虫かどうか位は分っている筈ですから、一座の者をかつぐつもりのエピソードですね。
 長い戦乱がようやく治まり、町人文化が開花した江戸時代。その代表的な文芸のひとつに、俳句があります。蛍も数多く登場してきます。
まず、第一人者、松尾芭蕉の句からご紹介します。
ほたる見や船頭酔うておぼつかな
 琵琶湖から流れる瀬田川で、芭蕉が蛍船に乗った時の光景です。
狩衣カリギヌの袖のうら這うほたるかな
与謝蕪村
 みやびを重んじる蕪村が、遙か平安朝の貴公子達の姿を幻想したものでしょう。
 一転して、俗世界へ ――。
 お馴染みの小林一茶には、ホタルの句がいくつかあります。
馬のに吹き飛ばされし蛍かな
蛍火やカワズもちらと口を明く
蛍見や転びながらもあれ蛍
 260年間に及ぶ江戸幕府が崩壊した明治維新、江戸城無血開城の立役者、勝 海舟の「氷川清話」にも、ホタルの句があります。
雷は筑波あたりか飛ぶ蛍
 遠雷は遥か筑波方面、ホタル達も安心して舞っている。
当時(明治29年、1896年)は、都心の赤坂あたりにもホタルが生息していたのですね。

 現代に入ります。
蛍火の今宵の闇の美しき
高浜虚子
親一人、子一人蛍光りけり
久保田万太郎
黒髪にすがりてトモる蛍かな
鈴木貞雄
蛍来てともす手相の迷路かな
寺山修司
ほたるかご まくらべにして しんのやみ
飯田蛇笏
 ついでに、近代短歌も紹介しておきましょう。平安朝歌人との対比も趣きがありますね。
飛ぶ蛍ひかりさびしく見ゆるまに 夏は深くもなりにけるかも
樋口一葉
ほのぼのと おのれ光りてながれたる 蛍を殺すわが道くらし
斉藤茂吉
蛍来て見るや田の面は星の居る遙けき空に続きたりけり
窪田空穂
ほたる火をひとみ絞りて見つけ出し その息の緒に息をあわせけり
石本隆一
かどにいでてとりし蛍を葱の葉の筒に透かして孫のよろこぶ
岡  麓

 最後に、ホタルが登場する小説には、野坂昭如の「火垂るの墓」(1967年)が有名ですね。「火垂る」は、江戸時代の百科事典ともいうべき「大和本草」(貝原益軒著)に、

「ホタル。ホは火なり、タルは垂なり」

とあり、「火垂る」は飛翔している雄ボタルが、下で待つ雌ボタルの元へ一直線に光りながら降りる様を表したものです。
 そして、もう一作あげるとするならば、やはり、宮本輝の「蛍川」(1977年)でしょう。題名にある通り、この小説では、ホタルが重要な役割を果しています。
 以上、人とホタルのかかわりを、文学作品を中心に見てきましたが、ホタルは、人のための風雅な観賞物だけの存在ではなく、命の尊さや、命のはかなさ、そして自然の大切さを、人に伝えるために、夏の夜に飛来してきてくれる大切な生き物だということを、心に刻みつけていただきたいと思います。
参考資料: 写真集「蛍の里」西川祐介氏
  解説文 古代民族研究所 大森亮尚氏
 なお、当サイトの「蛍狩り」は、文豪谷崎潤一郎著「細雪」(1946年 刊行)より、岐阜県大垣在に於ける「蛍狩り」の一節です。続けてご覧下さい。
蛍が出るという小川は、畑の中にある溝の少し大きいくらいな平凡な川で、両岸には一面にススキのような草が長く生い茂っているのが、水が見えないくらい川面に覆いかぶさっていた。
蛍と言うものは、人声や光るものを嫌うと言うことで、遠くから懐中電灯を照らさぬようにし、話声もたてぬように近づいた。
ちょうどあたりが僅かに残る明るさから、刻々と墨一色の暗さに移る微妙な時に、両岸のクサムラから蛍がすいすいと水を慕って低く揺曳ヨウエイするのが見えた。
遠く、遠く川の続く限り、幾筋とない線を引いて入り乱れつつ点滅していた。
その時分になると、蛍があまり沢山いるので、誰も遠慮なく声をだした。
『宿に帰って』

自分がこうして寝床の中で眼をつぶっているこの真夜中にも、あの小川のほとりでは、あれらの蛍が一と晩中音もなく明滅し、数限りもなく飛び交うているのだと思うと、言いようもない浪漫的な心地に誘い込まれるのであった。
なるほど「蛍狩り」と言うものは、お花見のような絵画的なものではなくて、冥想的なそれでいてお伽話の世界じみた、子供っぽいところもあるが、あの世界は、絵にするよりは音楽にすべきものかも知れない。
お琴かピアノかに、あの感じを作曲したものがあってもよいが ――。
『帰りの汽車の中で』

「お嬢さん、蛍の死んだのはお捨てになってはいけませんよ。取って置くと薬になりますよ」
「何の薬になりますのん」と、妙子が聞いた。
「乾して保存して置いて、火傷ヤケド や怪我をした時に、飯粒と一緒に練ってお着けになるんですな」
「利きますか、ほんとうに」
「僕は試したことはありませんが、利くということですな」

私どもは、5月になって、浅草の三社祭から、かき氷を口にする。そして、
子供ごころにも、「ああ・・・・もうじき夏休みがくる」と、うれしさを押さえ
かねた顔つきになってしまう。
夏の夕空にはコウモリが飛び交い、微風に風鈴が鳴り、蚊やりのけむりの香ばしい匂いがして、寝るときには青い蚊帳かやを釣った。

縁日の夜店で売っている蛍を買ってきて、蚊帳の中へ放し、まるで夢の中の世界へひきこまれるような気分で、青白くたゆたっている蛍の光を眺めていたものだ。

「もう四ツ半くらいかしら、秋ちゃん」と女主人が言った。
「ごらんな、蛍があんなに固まって飛んでるでしょ」お秋は外へ出た。
向こうの灯りを消している「油屋」の庇(ひさし)のところに、蛍が群がり集まって、青白い光を明滅させながら、右へ左へと揺れ、あがったり、さがったりしながら、一団となって飛び狂っていた。「まあ、きれいだ」とお秋が言った。
西は洲崎弁天の広い境内、北は道を越した向うが木場で、東は芦原や沼や蓮池などの続く荒地、そうして南は二段ばかり芦原があって、そのさきが海になっている。

その晩,村次は蛍篭を持ってお秋の部屋へ来た。
「不動さまの縁日でね、子供のときを思い出してつい買っちまったよ」。
「いやな人ねえ」とお秋は蛍篭を受け取りながら言った。「蛍なんてこっちには売るほどいるじゃないの」。「五疋いるな」と彼は言った。「朝夕三度くらい水を吹っかけてやるんだよ」。

あくる晩、お秋は、ふと窓のほうを見、そっちへいって(庇に吊ってある)蛍篭を取り外した。
「水をやるのを忘れてたわ。まだ生きてるわ、可哀そうに」。
「放してやれよ」と藤吉が言った。「そうね」とお秋が言った。「放してやりましょう」。お秋は篭に張ってある蚊屋を破り、中にいる蛍を生垣の上へ振り落した。

蛍は五疋いたが、 しきみ の葉の上に落ちると、二疋だけ息づくように光り、あと三疋は地面にこぼれ落ちたまま、うす青くほのかに光りながら、しかし動くようすはなかった。「どうしたんだ」と藤吉が言った。
「いま放してやったら、生きていたのは二疋だけだったわ。あら! その一疋がいま飛んだわ。水のあるところがわかるのねえ、川のほうへ飛んでいってよ」。
お秋は、そう言って膳のほうへ来た。

「東京のホタル」

江戸時代から明治時代にかけて、ホタルの名所としては、高田落合、関口の滝、 王子石神井川、谷中宗林寺があげられ、千鳥ヶ淵あたりにもホタルが舞っていたようです。
大正時代になると、目黒、麻布、広尾へと生息地が後退し、

昭和10年(1935)には、山手線の内側は絶滅してしまいました。
昭和25年(1950)には、中野鷺の宮、杉並高井戸、世田谷鎌田まで後退し、
昭和30年(1955)には、23区から完全に姿を消して、府中、小金井、立川 へと更に後退。

今では多摩川上流域及び奥多摩地方で僅かに見られる程度です。

 


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